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四国九州旅行5日目下関宗像

四国九州旅行5日目下関宗像

  • Posted by: けんた
  • 11年03月23日 水曜日
  • 旅路

下関の宿。
本当に良い宿でした。

今回の旅で、最も高い宿泊費と言うだけありました(笑)
宿を出る時にも、我々が荷物を持っているのを見たフロントの方が、
息子を抱っこして車までお見送りに来て下さいました。

この宿でも、息子のお陰で多くの優しさに触れることができました。
最後に1枚…と、

昨日から対応下さっているフロントの方に息子が抱かれてパシャリ。

もし下関に来れる機会があったらまた利用したいです。

本日の最初の目的地は…

■赤間神宮

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宿から直ぐのところにありました。

耳なし芳一」の舞台として有名です。
ということはすなわち…元々はお寺だったのです

これがまた、明治政府の神仏分離令によって神社になったという。
なかなかに無理矢理な設定ですね(汗

神社がまず目に入ってきた時、
あれっ!?なんかお寺っぽいぞ!?
と感じたんですが、面影が残っているんでしょうかねぇ。

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特に、入り口の門なんて神社と言うよりはお寺だと思う。

そして、門をくぐっても、真っ赤っかの社殿が並んでいます。

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まずは手水所で洗い清めて…
と、手水所に近づいていくと、息子が凄まじい反応を示した。

あれを取れーーーー!!
俺にくれぇーーーーー!!

と。

仕方が無いなぁ…

結果は目に見えておりますが、渡してあげました。
手に持っている間は、もう、ノリノリですよ。

ただ、今回も埒があかないので、取り上げる。

DSC_5273 ⇒ひしゃくを取り上げると⇒DSC_5274

あちゃー。

やっぱり逆鱗に触れてしまった(汗

直ぐに拝殿へ連れて行き、財布から賽銭を取り出して渡すと…。

にたぁ~~

回復も早いです(笑)

拝殿から本殿に続く回廊内には水が満たされており、
綺麗な緑色を呈しております。

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水面に鮮やかな赤色の柱が映し出されてとても綺麗でした。

拝殿から後ろを振り返ると、門の向こうには関門海峡が広がり、
これまた朱色の門との色のギャップで非常に美しい。

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階段を下って行きますと、そこから海へと続く階段へ続いており、
船が通る度に打ち寄せられる波を興味津々で息子が眺めておりました。

そこからしばらく国道3号線を走ると、何やら大きな神社が。
今回の旅程には組み込んでいませんでしたが、下関の氏神様■関の氏神 亀山八幡宮です。

享保年間の『防長社寺由来』によれば、貞観元年(859年)、行教が宇佐から石清水八幡神を勧請する途中、当時は島だった亀山に碇泊した。そのとき、「この山は清浄な地であるので、しばらく祀ってから先へ進んでほしい」と神託があったため、亀山に行宮が設けられた。この行宮が当社の起源であるという。

関門海峡鎮護の神社として歴代領主の大内氏毛利氏らの崇敬を受け、下関の総鎮守、長門国三宮とされた。1874年(明治7年)に郷社に列し、1890年(明治23年)に県社に昇格した。1968年(昭和43年)に神社本庁の別表神社に加列された。■亀山八幡宮 (下関市) - Wikipedia

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こちらには名物??世界一の大きさのふぐの像があるそうで。
確かに、大きい(笑)

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御朱印を頂いている間、休憩室に入っていきましたら…
神官さんが観光客らしき方々に参拝方法の作法について質問を受けていました。

そして、2礼2拍手の実演をされていたんですが…

それを見た息子。

反応。

パチパチパチ~~ ⇒ おじぎ

これを見た神官さん。
大いに感心!!

息子にも教えて下さってました(笑)

この神社も同じく、拝殿から振り返ると関門海峡の眺め☆

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どの神社も、海に向けて建てられているんですね。

さらに3号線を進みますと、ちょっと奥まったところに鎮座するのが桜山神社

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未だ、金毘羅さんの階段ダメージがさめやらぬ中…
階段は、ま~~だまだ、続きます…(汗

それほど大きな神社というわけではありませんが、
龍馬…というか、お龍ゆかりの神社のようで、
昨年の大河ドラマブームで一躍脚光を浴びたようです。

圏外ナンバーの車も停まってました。

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急な階段を上ったところに、こじんまりとしたお社が建っていました。

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ここがまた割と高台になっており、ちょっと樹木に邪魔されちゃいますが、
とても見晴らしの良いところです。

さらにさらに、旅程には無いところですが、中山神社

幕末期に尊王攘夷の立場で活動し1864年元治元年)に暗殺された、公家中山忠光祭神として祀られている。また、境内には忠光の墳墓(国の史跡)がある。このほか、明治天皇および天照皇大神が祭神として祀られている。

主祭神である忠光が国家を思い憂いて活動していたことから、国家安穏ひいては家内安全や厄除などの崇敬を受けている。
■中山神社 (下関市) - Wikipedia

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下関周辺は、神社仏閣が豊富です。

この中山神社は比較的歴史が浅く、新しい神社の部類に入ります。
祭神も明治天皇…と、近代天皇も祭られております。

さすがは山口というか、尊皇攘夷で活躍された方が祭られているそうですね。

息子お楽しみの賽銭タイムも経まして(笑)

賽銭箱を見ると、指を指す。

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境内を散策。

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真ん中に、ちょこんと見える米粒のような人影が息子です。

愛新覚羅社という社が隣接しており、こちらは昭和63年建立という非常に新しい神社。

1988年(昭和63年)造営。祭神は愛新覚羅溥傑(あいしんかくらふけつ、清朝最後の皇帝だった愛新覚羅溥儀の弟)と、妻の嵯峨浩(さがひろ、中山忠光の曾孫)および2人の長女愛新覚羅慧生en)( - えいせい)。浩の遺言にしたがって当地に祀られている。

通常、社殿は東向きまたは南向きに建てられるが、同社の社殿は中国大陸に向かって西向きに建てられている。また、中山神社の宝物殿には溥傑の次女嫮生(こせい)などから寄託されたゆかりの品が展示されている。

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中山神社の主祭神の血縁として、清朝最後の皇帝として有名な愛新覚羅溥儀の弟が祭られています。
こうして神社を見ていると、歴史の中での大きな変革が、
神社という形として残って後世に伝わっていくのだなぁ~と感じます。

さて、もうそろそろお昼時ですが、下関最後の訪問地、■長門一宮 住吉神社です。
長門国一宮になります。

住吉神社(すみよしじんじゃ)は、山口県下関市にある神社である。式内社(名神大社)、長門国一宮で、旧社格は官幣中社。大阪の住吉大社、博多の住吉神社とともに日本三大住吉の一つとされている。大阪の住吉大社が住吉三神の和魂を祀るのに対し、当社は荒魂を祀る
■住吉神社 (下関市) - Wikipedia

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この神社は歴史が深く、

日本書紀』神功皇后紀によれば、三韓征伐の際、新羅に向う神功皇后に住吉三神(住吉大神)が神託してその渡海を守護し、帰途、大神が「我が荒魂を穴門(長門)の山田邑に祀れ」と再び神託があり、穴門直践立(あなとのあたえほんだち)を神主の長として、その場所に祠を建てたのを起源とする。

国宝や重要文化財が豊富に取りそろっております。
こちらの拝殿も重要文化財。

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下の写真が、本殿。
非常に特徴的な屋根の形ですね。

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本殿は応安3年(1370年)に大内弘世により造営されたもので、昭和28年(1953年国宝に指定されている。5つの千鳥破風付き一間社を合の間とともに一列に連ねた九間社流造で、中央の第三殿の前に拝殿がある。fromWikipedia

昨年、檜皮が吹き替えられたばかりだそうで、
青空に栄えて大変美しい。

ちなみに、Wikipedia調べていたら、そちらに掲載されている写真と
構図がほとんど同じ(笑)

やはり、ここが最適撮影ポイントだったか☆

社殿の奥には、これまた大きな楠が!!

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二股に分かれた根元には大きな空間が広がり、
息子を入れてみたい欲求に駆られましたが…

そこは神聖な場所!

我慢我慢(笑)

境内には木漏れ日が差し込んでぬくもりを感じます。

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これにて、下関巡りは終了!!
高速に乗り、関門海峡を目指します。

と、ここで、お昼ご飯を食べていないことに気付いた我々は、
壇ノ浦SAにて昼食。

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展望台も併設されていて、関門橋を間近に見ることができました。
その景色を眺めながら食したのは、ウニ飯丼☆

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石焼きビビンバの要領で、ウニごと混ぜて食べるんですが、おいしかったぁ☆

ちなみに、展望台から海の向こう、九州を眺めていましたら、
海辺に神社らしきモノを発見!!!

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むう!!
訪れてみたい!!

が、もう時間的に厳しい…高速降りないといけないし…。

ってなわけで、今回はwebで我慢しておきます(笑)

■和布刈神社公式サイト

「めかり神社」と呼ばれているそうです。
九州最北端の神社ということで、今思えば行っておけば良かった…なんて(笑)

さあ、九州に上陸!!

本日のメイン神社である、福岡県宗像市の宗像大社です。

宗像大社(むなかたたいしゃ)は、福岡県宗像市にある神社式内社名神大社)で、旧社格官幣大社(かんぺいたいしゃ)。 日本各地に七千余ある宗像神社厳島神社、および宗像三女神を祀る神社の総本社である。全国の弁天様の総本宮ともいえる。

もう、なんというか、格式が超高い。
どれだけ多くの神社を従えているのだろう。

現代においては、世界遺産の暫定リストにも入っているそうです。
■宗像・沖ノ島と関連遺産群 – Wikipedia

そして、歴史の深さは神話の時代にまでさかのぼるという…

伝えられる伝承では日本神話の話に起源を持つという。天照大神素戔嗚尊誓約(うけい)の際、天照大神の息から生まれたのが宗像三女神ということになっていて、彼女達は天照の勅命を奉じ皇孫を助けるため筑紫の宗像に降りこの地を治めるようになったのが起源とされている。fromWikipedia

到着し、まず驚いたのはその駐車場の広さ!!
半端無い、本当に半端無い。

伊勢神宮もビックリの駐車場の広さです。

それだけではなく、社務所のスケールも超ビッグ。

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トイレに至っては、最新式。自動ドア付き。
どこのホテルのトイレですかっ!!
そんな気分でした↓

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手水所も大きい…(以下略↓

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ただ、一方で、拝殿と本殿については、それほどでもなく。
ちょっと安心しました(笑)

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しかし、全国に数多くの神社を従えているだけあって、
摂社の数が半端無い。

本殿を取り囲むように、ずらーーーっと、並んでいます。

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さて、ちょっと外れたところに何やらあるというので、
森林浴がてら、山の中をまたしても階段を上り上って上がっていきました。

先の文章で「天孫降臨」について書かれていますが、
これがその、降臨した場所

本殿から徒歩7分ほどの場所です。

高宮祭場と、呼ばれます。

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この広い場所です。
なにやら、ただならぬ気配を感じないでもない。

ちょっと、写真撮影するのを躊躇しました。

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ただ、今、降臨しているわけではないので…大丈夫かな。
撮影禁止の立て札もなかったので…。

宗像大社は実は3カ所に分散している社をまとめて宗像大社と呼んでおり、
我々が訪問したのはそのうちのひとつ、辺津宮(へつみや)という場所です。

通常、宗像大社というとこの辺津宮(へつみや)を指しますが、
できれば、他の中津宮(なかつみや)と沖津宮(おきつみや) にも参拝したかったところ。

しかし、中津宮については船で渡らねばならず、
沖津宮に至っては沖ノ島という玄界灘のまっただ中にある島に存在。
さらに、島全体が御神体とされ、今でも女人禁制の伝統を守っているし
また、男性でも毎年5月27日外の上陸は基本的に許されず、その数も200人程度に制限されている。

絶対、行けない(汗

というわけで、この2祭神については辺津宮でも祭られております。
それがこちらの第二宮と第三宮です。

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ちなみに、公式webによりますと伊勢神宮の第60回遷宮で使用した古材を利用されているそうです。
屋根の形は、まさに御伊勢さま。

宗像大社は、裏伊勢とも呼ばれると、由緒に書かれていました。

以上、、宗像大社を存分に堪能致しました。

これまで、御朱印帳を伊勢神宮で頂いたものを使用しておりましたが、
ついに、裏表使って最終ページとなってしまいました。

せっかくの機会なので、裏伊勢と呼ばれる宗像大社の御朱印帳で
次の1冊をスタートさせよう!!ってことになり、購入☆

さて、最後にもうひとつ。
鐘崎にある、宗像大社と並んで由緒ある神社に行ってみよう。
ってことになりました。

宗像大社から15分ほどのところにありますが、
到着してみて…

はふぅ。

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またしても階段が…。
この旅行、息子を担いで、どんだけ階段上り下りしとんだーーー!!
だいぶ体力が付きそうですわ。

その名は織幡神社。

な~んか、私にとってなじみ深い漢字が使われておりますが、
機織りは関係無いようです。

DSC_5477  DSC_5468

石塔に書かれていた由緒には、

平安初期、朝廷の年中儀や制度などの事を書いた”延喜式”の中に、日本中の神社が記してあります。織幡宮は、筑前十九社の第二番目に記され、宗像郡内でも、宗像大社に次ぐ神社として記録されています。その昔、文字を持たない時代から、古代の人々は、山の神、海の神、岬にも神霊を感じて航海安全を「ちはやぶる神の岬」として祈った時代もあったと思われますし、織幡宮は武人、武内宿祢を鎮護国家の備えとして、交通要衝 鐘崎に祀ったといわれています。古文書に、元禄八年(1695)社殿造立。元禄十六年(1703)拝殿成就と記され、古い歴史がしのばれます

神主さんも居なくて、小さな神社のようでしたが、歴史を振り返ると由緒ある神社のようです。

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ここでは主(ぬし)だ!!と、妻の叫びからカメラを向けてみたら、
トンビ?タカ?
主がいました。

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あの階段を上っただけあって、眺めは最高!!

DSC_5474

また、玄界灘に沈む夕日も眺められました。

DSC_5482

なんか、今日はめいっぱい神社を巡った気がするなぁ。
当初予定していた神社の倍の数を回っていました。

そんな疲れた体を癒やしてくれるのが…

本場!!長浜ラーメン。

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今夜の宿は福岡市です。
こちらの屋台で頂きました。

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ふぅ~む、店の選択を誤ったのかどうなのか。
大府の鶴亀堂の方が美味しかったという、おいらと妻の感想。

周囲には長浜ラーメン屋台が並んでいて、
それだけでも面白い空間でした☆

ホテルに到着すると、フロントの方から御菓子をもらって
息子はご満悦☆

今夜の宿は朝食のみのビジネスホテルで、
お値段8000円弱也!!
もちろん、家族3人でこの値段☆

昨日贅沢した分、今日は節約です~~。

日記は節約できず、5500文字。。
毎度毎度、弔文になってしまい申し訳ありません。

Comments:4

dj-chako 2011年3月24日 19:00

こんにちは。
私が子育てする時期(ノリコママも)家庭用ビデオを誰もが持つようになりどれ程撮ったもんだか…今やそれらを再生する術を失いました。編集してるひといます?

Gブログよりお便りが届きました。お帰りになりましたらご連絡下さい。

だんきち 2011年3月24日 22:29

けんたさんまいど!

引き続き、バーチャル旅気分!ですよ☆
下関は海と山が迫る街、だから神社も階段が多いんですね。
ご夫妻(主にけんたさん?)たっちゃんを背負って、何往復ですか(汗 それだけでかなりな運動では…

昨日お話した大阪→九州自転車旅は、学生だからできた旅ですね。ユースホステル泊まりながら、各地の名所を訪ねました。関門海峡は、開門国道トンネルの自転車道(海底)を体験!しました。いい思い出です。

和布刈神社は残念でしたね。またの機会に!

たっちゃん、ほんまにひしゃく(=まさかり)ご執心☆
ご機嫌&逆鱗写真から、表情が伝わってまいります☆

そして夜は長浜ラーメン☆あそこのとんこつって意外とあっさり美味いんですよねー!!!

いよいよ、旅も佳境。ラストは大分・別府なんですね☆
地獄めぐりだw

引き続き楽しいお時間を~!

けんた 2011年3月26日 22:48

>dj-chakoさま
そういえば、我が家にもVHSテープ用のテレビ局クルーが持つようなサイズのビッグなビデオカメラがありました(笑)
父もカメラやらビデオやら。保存してあるものが沢山あるので、いつかDVDにせねば!!と思っております☆
編集はさすがにされておりませんねぇ。
今思えば、デジタル化しておいて、結婚式にでも流せば良かったかなwなんて思ってます。

そして、Gブログの件、御連絡有り難う御座いました☆
早速、申し込ませて頂きます!!

けんた 2011年3月26日 22:53

>だんきちさま
どもっ!!
最終日となった今日は、岸和田も通過してきましたよ~~☆

息子の抱っこ係は夫婦で交替しながらでした。
主に、上りはおいら担当で、下りは妻担当。

それにしても、たくさん歩いたので…後ほどまとめのブログにて、
ケータイ内蔵の万歩計履歴を掲載したろかなと思っていますw
それでも、会社に居た頃の方が歩いていたことが発覚しておりますが。

もちろん、1万歩は超えておりますよ~~

関門トンネルの自転車道!!良いですよねぇ。
何より思い出になります。
そして和布刈神社。

ふっふっふ…

行っちゃいましたぜ!!
後の日記に記載しますが、戻ってきました(笑)

そして息子のひしゃくも…ふっふっふ☆

長浜ラーメンの豚骨は、おっしゃるようにあっさり味でびっくりしました。
普段、こってりになれているので、えええっ!?と、驚き。

後半は、疲れ果てて日記も停滞気味で…
全アップまでもうしばらくお待ち下さい(汗

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