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組長宅連続訪問

組長宅連続訪問

  • Posted by: けんた
  • 13年12月22日 日曜日
  • 旅路 | 豊根

最近、「組長」って役職を連呼しているんですが、
あちら側の役職とは関係御座いません。

いわゆる、集落単位の自治会長のことを組長と呼ばれています。
新城以北ではメジャーな言葉です。

さて、しばらく意識の彼方にありましたが、
ひとつ、役職があることを思い出しました。

戦没者遺族会という組織があるんですが、
我が家はその役員でした。

また、役がわき出てきたですよ。
どんだけ、兼務しているんだか…。

今日が休日で良かった。

というわけで、各組の組長さん宅と戦没者遺族会会員さん宅を訪問して、
戦没者遺族会関係のお仕事です。

こんにちわーーー!

と、お宅訪問をすると…

「まあ、上がっていけや!」

という返答が帰ってくることがしばしばあるわけで…。

1時間程度で回りきる予定が、大幅に…(笑)

ただ、話し好きな方が多いこともあって、
知識をたくさんお裾分け頂きました。

その中には、我が家のルーツに関することまで!!

祖父からも、村の歴史的な話とか集落の成り立ちとかを聞いてはいたんですが、
全てを聞ききる前に亡くなってしまった。

Uターンしてから、祖父とはつかの間の同居。
聞き漏らしたことも、いっぱいあります。

今回は初めて聞く話がたくさんっ!!
祖父と年が近い方ってこともあり、70年近く前のことを伺いました。

むしろ、私を全く帰らせてくれない勢いです(笑)

上黒川地区は古く、老平村、兎鹿嶋村、大沢村で構成されていました。
それぞれが集合して集落を形成していたわけではなく、
村が家単位で飛び地のように分散していたんですよ。

大げさに言えば、どこどこの家は老平村所属で、その隣の家は大沢村所属で…
その隣の家が兎鹿嶋村所属みたいな。

村同士、家同士の境界線とするための赤線は、
村同士の紛争が起きる度に動くことがあったり、
諍いが起きると、○○村は通行禁止!なんてことになったりしたらしい。

村関係とは別に、血縁(一族)関係という結びつきも非常に強く、
一族の外へ嫁にやったり婿入りすると本家の財産(土地)を分けねばならぬので、
食糧確保の観点からも、一族の中で結婚を決めることも多かったんだとか。

なるほどなあ。

ある種、合理的な考え方。

ただ、それだと血が濃くなるので、だんだんその考え方は薄れていったそうな。

ま、それは豊根に限ったことでは無いと思いますが。

我が家周辺はかつて兎鹿嶋村に属していたわけですが、
我が家は大沢村との結びつきが非常に強かったみたい。

実際、祖父も大沢村出身で、我が家で生まれた祖父の代は
大沢村へ嫁いだ人が多い。

我が家の近所の血縁関係や戦後の地理関係などをたくさん伺い、
私の曾おじいさんの代の名前が出まくっていました。

戦没者遺族会の話をしに行ったから余計かも知れませんが、
戦争で亡くなった方の話も伺いました。

戦没者遺族会は、自分の家から戦没者が出た遺族が中心になって形成。

すなわち、我が家でも戦没者がお二人います。
世代的には、私の祖父の代になります。
元々は、その方々が家を継ぐはずだったんですが…

家を継ぐはずの人が全て戦死という…。

それで、祖父が継ぐために血縁関係から家を継いだわけです。

戦争というのは、残された人の人生にも大きく影響します。

いやはや、まさかこんな展開になるとは思いませんでしたが、
大変、勉強になった1日でした。

Comments:2

かし 2013年12月23日 23:58

水野日向守のHPにも興味がわくかも、
中設楽の朝鬼はニアミスしていたようですね。

けんた 2013年12月24日 20:55

>かしさま
御紹介のページ、拝見しました。
石高が書いてある資料は興味深いですねぇ。
新城以北の合併の歩みが分かって面白いです。

中設楽の花にいらっしゃったんですね!

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