突然ですが。

引越まで残り1ヶ月となりました。

ということで…
ブログの方でも一部、公発表致します。

会社や友人知人には昨年12月頃からお知らせしてきたので、
既にご存知の方ばかりかもしれませんが。

今の会社、3月末日までの在籍とし、
4月1日からは実家豊根村へ戻り、また新たな分野を生業と致します。

どんな職業に就くかと言いますと…
伏せようがない気もしますが、とりあえず4月1日まで伏せておきます。
(って、そこまで書かずにいられるだろうか(汗))

社会人になってからというもの。
ちょっと振り返ってみます。

今の会社を選んだのも、DNAに何か刻み込まれていたからか…
祖父は戦時中工作兵上がりで、父は自動車メーカーの保全上がり。
自分も、いつの間にか同じ道に進んでいました。

入社後、過酷な3ヶ月間の現場実習を経て、
(激しいライン作業で10kg以上減量)
技術者としての素養を作る技術者研修へ。

小さな頃から祖父と父が会話している時に出てきたフレーズ、
「旋盤」だの、「フライス」だの、「バイト」だのという機械加工用語が
何なのか分かってきて…

っしゃ!!

おいらも仲間入りっ!!

と、思った矢先に…

青天の霹靂とは、まさにこのこと。

突然、父が亡くなった…。

もう、何が起きたのか、全く理解不能。
■kenta’s page!!2007: 突然の訃報 ~父の急逝~

このつらい時期を一緒に過ごした当時彼女、現妻には
だいぶ助けられました。

そして、翌年には結婚。
■kenta’s page!!2008: 大安吉日 豊根村上黒川熊野神社 結婚式挙げました!

新居のアパートへ引越し、新婚生活を歩み始めました。
そういえば、披露宴は2回やったなぁ。
■kenta’s page!!2008: 年休取って明日の披露宴&二次会準備!
■kenta’s page!!2008: ☆名古屋披露宴☆第一部前半~披露宴@逓信会館・中座まで~
■kenta’s page!!2008: ☆名古屋披露宴☆第一部後半~披露宴@逓信会館・エンディングまで~
■kenta’s page!!2008: ☆名古屋披露宴☆第二部~二次会@kobekan~
■kenta’s page!!2008: ☆名古屋披露宴☆第三部~三次会@笑笑~

年が明けたと思ったら、今度は祖母が息を引き取り…

祖父が喪主かと思いきや、家を継ぐ身だからと…
一家を代表して、おいらが務め。
■祖母旅立ちました – kenta’s page!!2009

冠婚葬祭に明け暮れてますね(汗

法事の催行や、家の仕事のお手伝いなど、
実家に帰る回数も格段に増えました。

この直後、今度は嬉しい知らせで息子が宿りました。

昨年には息子も誕生しまして。
■息子誕生 2902グラム – kenta’s page!!2010

なんか、たかが4年弱を振り返っただけで、喜びや悲しみが毎年起きているという。
まあ、その度に実家を頻繁に往復するようになる。

息子が産まれると、さらにさらに、実家に帰る回数は増えるわけですよ。

もう、これは…

隔週以上のレベルになってきた。

豊根と大府との二足のわらじ生活で、
往復4時間のロングドライブを週末毎に重ねるのは…

今は大丈夫かもしれないけれど、
いずれ自分が年を取り、子どもも大きくなって、大府での地域づきあいも出てくると…
週末に外出ばかりしてもいられなくなります。

もちろん、運転する距離が伸びれば伸びるほど、
交通事故という高リスクを背負い続けることにもなりますし。

それならば、いっそ祖父と母に、こっちへ住んでもらえばいいんじゃないか?
という考え方もありますが…

この選択肢ついては、全く、眼中に無し。

先祖が切り開いて住み続けてきた土地よりも、
仕事の方が重要なわけがない。(あくまで、私の価値観です)

仕事なんて、所詮は自分一代限りのことですしね(今の時代は特に)。

あと、父が一生懸命働いて建てた実家を空き家にしてしまうとか。
もっともっと考えられない。
まだ、築20年経ってないんですよ。

いずれ、豊根には戻るつもりでいましたが、定年後かなぁと漠然と考えていました。
よくよく考えてみると、その頃にひょいっと戻ったとしても…
地域付き合いにいきなり入っていけるものなのか!?

地域のお仕事も何もしていない状態で…それは狡かろう。
という考えも頭に登ってきました。

 

ホント、入社してから丸4年が過ぎようとしていますが、
凄まじい4年間でした(特にプライベートが)。

さて、一方で、新たな就職先の試験を受けようと決意した時から受験までというのも、
ある意味凄まじい時期ではありました。

自分が入社してから、最も業務が忙しい時期と重なっていたのです。

我々の仕事が、新規ラインの立ち上げから
ちょうど生産フェーズへ移行する段階。

最もピリピリした雰囲気が職場へ覆い被さり、
過労ストレスで倒れるメンバー続出。

まさにサバイバル状態。

残業に休日出勤に…と。
これは一体、いつ勉強するんだ??
平日は、勉強開始時刻が日付変わる前後になることも珍しくなく、
朝はもちろん、8時出社。

会社のない土日は勉強!!

夏期休暇も、どこにも出かけず、ひたすら勉強。

そこに、1月に産まれたての息子の育児という、
実は一番ビッグな「おしごと」が存在していたわけで…。

もう、端から見ても破綻するだろこれ。
としか思えない状況だったわけですよ。

しかし、この状況をもはね除ける力が存在しました。

それは…家族の協力。

妻も子育てで一番忙しい時、猫の手だって借りたい時。
ホント、感謝してもしきれないくらいに協力してくれました。

「家の仕事と息子の面倒は任せて!!その分、勉強して!!」

と、良い意味でプレッシャーもかけられつつ(笑)

妻にはホント、頭が上がりません。

実家でも、実家へ帰ると必ず何か仕事が待っているんですが、
勉強期間中は何も仕事が入ってこない。
祖父・母も、きっと頼みたいことはたくさんあったでしょうけど(笑)
我慢して見守っててくれました。

山積みになった問題集を、来る日も来る日も解いては解き解いては解き。
それでも、ライバルであろう、学生さんたちは自分が仕事をしている間も、
勉強をしているんだし…と、焦る気持ちは全く減りませんでした(泣

さらに、30歳という受験年齢制限がプレッシャーをさらに上昇させる。
(おいら、今年で30歳になります。年齢制限ギリギリ…うぉぉぉ…胃が…って。)

でもやっぱ、大学院の方がしんどかったかな(汗

(いや、武田研究室が厳しかったと言いますか…。)

人生、死ぬほど辛い経験していれば、割と耐性というものは付くようです。
ただし、同じような辛さならばという限定付きかもしれませんが。
(肉親の死という辛さは、また、別次元。)

 

というわけで、水面下で準備をして参りました。

新しい仕事というのも、不思議な縁は大学時代からあって、
武田研在籍時代にも同分野の方々と共同研究をさせて頂いていたり、
修士論文や学会発表、投稿論文にも稚拙ではありますが投入して
考察したことが多々ありました。

ま、ただし、それらはあくまでも机上の空論。

全く役に立たないであろうと。

ゼロからの出発。その気持ちを大切に。

 

一方で、何故か、プライベートの交友関係にも、
不思議なネットワークが沢山構築されてきました。

今度はそれを活用する番!!…なのかな?

もちろん、恩師、武田教授へも受験前から相談をしており、
御祝いのお言葉に付け加えて…

日本国土を利用する中で最も困難な問題を考えねばならないことを肝に銘ぜよ。
と、早速プレッシャーを浴びせかけられておりますが((O.O;)

しかし、心に響いた一言があります。

「人間はどこにいても同じ事しかできないし、それに軽重もありません。」

「大都会に住み、大企業で仕事をする方が気楽な人生を歩むことができるかもしれないが。」
「そこからはなにも人生の深い意味は得られない。」

…というメッセージを下さいました。
非常に哲学的で、学生時代を思い出します(汗

(基本的に、教授からの指導は哲学的文言がメールで飛んでくる。)
(解読が非常に大変。)

人生の深い意味…。

って、何だろうな。

解答なんて人それぞれ、あって無いようなものだと思いますが。

 

今の会社では、仕事の進め方や資料の見せ方など、
社会人のベースたり得る部分をしっかりと教育してもらいました。
また、それを実践する機会にも最後には恵まれました。

蓄えた知識ではなく、問題を解決するための考え方。
後工程・サービスを受ける側(お客様)志向の考え方。
既成概念にとらわれず、改革・創造に着手する考え方。

学ばせてもらったことはたくさんあります。
コレが少しでも、誰かの役に立てることができたら良いな☆

かなり長くなりましたが。
来週からは怒濤の送別会ラッシュ…。

まずは、体をこわさないようにしなきゃ。本末転倒(汗

とりあえず、ご報告致しました。

このエントリーを Google ブックマーク に追加
[`evernote` not found]