道路という観点から日本史を読み解く

体調芳しくない。
息子と一緒に布団に転がりながら読書です。

今日は、こんな本を読みました。

高速道路の技術者だった著者は、
地図上のどの位置に高速道路の中心線を引くのかを考える専門家。

中心線確定に特化する仕事って、まさに地図に残る仕事!!
楽しそう。

道路と日本史を結びつけて考える本書、
最初は世界史とも結びつけて、人類が文明を持って記録するようになってからの時代、
各時代において、道路に対する考え方が政権の重きに置かれてきた歴史。

ローマ帝国と中国の始皇帝による大規模な道路建設から始まります。

前者はネットワークとして公共性を帯びた形で整備され、
後者は権力者が土地を納めるために作り上げた道。

その後、ヨーロッパにおいてナポレオンが帝国樹立のために、
進歩した形の道路整備を行って、道路が展開されていった。

いずれにしても、まずは勢力を維持するための軍事的要素が強く、
今のように電気通信が無い時代には、情報伝達手段=道路だった。

また、時の権力者や役人が土地を納めるための重要なツールだった。

日本でも、古くは駅路が構築されて、一定区間ごとに駅が配置され、
駅には馬がセットになっており、まさに「駅伝」という言葉が示す通り、
駅を経由してより遠くへ迅速に、人や物、情報を届ける仕組みが整えられた。

国交省のHPにも、日本で最も古い道路ネットワーク網「七道駅路概要図」が掲載されてます。

1-1
道路:道の歴史:古代の道 – 国土交通省

当時の中央政府があった近畿地方から、外側に向けて広がる道路。
それは、今の道路網の礎に。

しかし、古くからの道が今にそのまま至るのではなく、
1.遠方の目的地同士を結ぶのか(関西と関東を結ぶ)、
2.近隣の都市間を結ぶのか(地域道路)、

いずれを目的とするかによって、ルートが何度も変遷している。

それこそ、時代の求める形に応じるもので、
現代で言い換えれば、1.は高速道路網、2.は国道網。
かつての律令時代は1.が整備され、荘園時代になると民間主体の2.となり。

再び鎌倉幕府時代には1.になって江戸時代には2.になって。

面白いのが、1.と2.は、時代を繰り返そうとも、同じルートに返り咲くという。

高速道路の建設を進めていると、過去の1.ルートの遺跡に当たる。

人為的に決められているようにみえて、
地理的条件によって最適ルートが選択されている古今東西。

また、道路は街と街を結ぶ、すなわち点と点を結ぶだけでは、
その本来の能力を発揮するものではなく、ネットワーク化してこそ、
網の目のように、結節点を経由し、いずれの場所からも最短経路を選択できるような形に
なってこそ、意味を成すもの。

ネットワークのバックアップを確保することも戦術上、古来から考慮されていて、
今で言う東名高速と新東名高速との関係のような、
冗長性(リダンダンシー)確保は、今に始まったことではないことに、驚きました。

本書を読み進めていると、日本史と勉強しているような錯覚に陥るほど、
日本史と平行して道路の歴史を語っています。

まさに、タイトルの道路の日本史といったところですが、
道路の歴史が日本史文献から引用されて読み解かれ、
それだけ道路に関することは古来から重要な記録対象だったことを現します

日本書紀や万葉集をはじめとした日本史文献に、
これほど多くの道路記録が載っていることに驚きました。

時代の安定は、道路ネットワークが確たる形で守られていることが
必要条件のひとつと感じ、国や地域の趨勢が道路によって作られているように思います。

人の行き来が多いから道路を作ろうというのは順接的考え方で、
道路を作ることで人の行き来を作るという逆の考え方が、
今の世の中、地方創生するならば、必要条件にも思えます。

すると、必ず「使用頻度の少ない道路を作ってどうする!?」という世論にぶち当たりますが。

田舎の道は、全てが使用頻度の少ない道路と見なされています。
我々がいつも使う国道も、都市部からすれば使用頻度の少ない道路。

人が多く住むところに予算が多くあてがわれるのが民主主義社会。

人の行き来を作るという観点からも、道路が田舎にも欲しいと思うのです。

とりあえず中世まで読み進めましたが、
近世、現代に至るまで、まだまだ楽しめそうです☆

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