四国九州旅行8日目和歌山帰着

阪九フェリー「つくし」にて泉大津港を目指しております。
時刻は午前4時半。

無事に目を覚ますことができました(笑)

部屋の窓から外を見ると、夜が明け直前。

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この風景、たまりませんね~。
きっと、花祭りや天体観測で夜明けのすばらしさを知ってしまったからかと思いますがw

それにしても、船上は常に揺れている船からの長時間露光は非常に難しい。

身支度を調え、軽い朝食の後、チェックアウト☆
午前5時40分に大阪泉大津港に到着。

だいぶ早く着いたし、ちょっと神社巡りしてくか!!

というわけで、ナビで神社を探して…

っと!!

ナビが、まだここは九州だと思い込んでいる…。

とりあえず、下船を待ち、前の方の車から順番に下船。
しかし、港を出てどこへ向かったら良いのか…

ナビは、まだ、迷子です…。

さあ、土地勘が無いぞ。どうしたもんか。

よし、前の車について行こう(笑)
そしたら、ナビが現在地に気付いたようで、ようやく自分の場所を確認(汗

まずは和泉国一宮、大鳥大社へ向かいました。

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到着して、鳥居の前に横付けしてみたものの、妻子は車内でぐっすり。
外はかなり冷え込んでいるので、とりあえずおいらのみで境内散策。

そしたら、拝殿の目の前にも駐車場を発見!!

再び戻って、車を拝殿前に横付け(笑)

これぞ、早朝だからなせる技ですね。

そして、徒歩10秒で参拝可能という…。
妻子もサクッと参拝できました☆

こちらがその拝殿です。

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日本武尊(やまとたけるのみこと)が、死後白鳥となって最後に留まったのが大鳥の地で、
周辺の人々が白鳥をお祭りするために建てたといわれているそうです。

さすがに午前6時なので、社務所には誰もおらず。
御朱印はいつかまた、この地を踏んだ時に頂きましょう。

さて、お次は…

そうだ、和歌山に行ってみよう。

海側から攻めていくことにしました。
午前8時過ぎ、紀伊国一宮日前神宮並びに国懸神宮へ到着。
こちらは

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入り口の石塔を見ても分かるように、二つの神社が一つの境内で祭られていました。

境内入って左手に鎮座しているのが、日前神宮。

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右手に鎮座している国懸神宮。

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どちらも同じ大きさで同じような形。

そして…どんな神社なのだろう…と、Wikipediaを見てびっくりですよ。

國懸神宮は、日矛鏡(ひぼこのかがみ)を神体とし、國懸大神(くにかかすのおおかみ)を主祭神、玉祖命(たまのやのみこと)、明立天御影命(あけたつあめのみかげのみこと)、鈿女命(うづめのみこと)を相殿神とする。
これらの鏡はいずれも伊勢神宮内宮神宝である八咫鏡と同等のものであり、八咫鏡は伊勢神宮で天照大神の神体とされていることから、日前宮・國懸宮の神はそれだけ重要な神とされ準皇祖神の扱いをうけていた。日神(天照大神)に対する日前神という名称からしても、特別な神であると考えられる。また、伊勢が大和への東の出口に対し、西の出口であったため、伊勢神宮とほぼ同等の力を持っていたといわれる。日前神宮の祭神である日前大神は天照大神の別名でもあり、朝廷は神階を贈らない別格の社として尊崇した。神位を授けられることがなかったのは伊勢神宮をおいては日前・國懸両神宮しかなかった。

あの伊勢神宮と同等の力を持っていた!?
そんな時代があったとのこと。

豊臣秀吉政権下や大正時代の再建により、
大きな力を持っていた頃の面影を失ってしまった。

ただ、境内には修行中の神官さんが多々いらっしゃり、
それだけの社格を持つのでしょうね。

次に向かったのは…あれ?ここも紀伊国一宮だ。
伊太祁曽神社です。

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御由緒によると、神代には先の日前神宮・国懸神宮境内に祭られていたそうです。
なるほど、それでここも一宮なのか。

御祭神は、五十猛命(いたけるのみこと)。
日本中に木の種をまき、森林豊かな国土をお作りになった神様です。

木の神様としても有名らしく、これはもう、拝んでおかなくては!!

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本殿の屋根も、木を前面に押し出した色合いですね。
現在、門構えの修復工事をしている最中で、ヒノキのほのかな香りも漂う。
さらには拝殿前に狛犬ならぬ…チェーンソーアート的十二支が!!

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おおお。並んでる。

その中、結婚式が挙げられるようで、準備が為されておりました。

御朱印を頂き、お守りなどを眺めておりましたら…
素晴らしいストラップ発見!!

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おいらは普段、神社でお守りの類は買わないのですが、
(持つお守りは、氏神様のお守りのみです。)
デザインと木の神様をあしらったセンスに脱帽。

買ってしまいました☆

木を丸く加工してあり、「氣」と書かれています。

これから木に囲まれて生活する中、御利益を賜りたいものです。
そして、花粉症…治らないかな…(違

ここから次の目的地までは、妻に運転をお願いし、おいらはグウグウ。

だいぶ標高の高いところまで登ったようですが、
到着したのは丹生都比売神社

こちらも…紀伊国一宮!!

そして、世界遺産にも登録されております。
すなわち、熊野修験道…祈りの道(紀伊山地の霊場と参詣道)の一部であります。
高野山が近いです。

ということは…元々は神仏習合。
花祭りの原点のひとつ!!!

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その頃の面影を復元すべく、こちらの太鼓橋のように整備が進められているようです。

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おいらも、息子を抱きかかえて登ってみましたが、割と急(汗

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拝殿にさしかかると、めでたげな笛の音色が…。
今日は結婚式日和!!

こちらでも挙式の真っ最中でした。

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そのなか、ちょっと控えめに参拝しつつ、
本殿の方も拝見。

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「丹生」と名の付く神社だけあって、朱塗りかつ複数の屋根が見えますね。
麓には■丹生官省符神社 – Wikipediaがあったんですが、あまり遅くなるとなぁ…
豊根までまだ300km以上あることを考え、ここまでにしておきました。

かなり後ろ髪引かれる思いなので、また来ます!!

以上のように、紀伊国一宮と称されるものを3社(4社)まわったわけですが、
何故そんなにたくさんあるのだ…
(本来、一つの国に一つじゃ名かったっけ?)
しらべてみたら、割と争ったみたいですね。

一宮は日前・国懸神宮(2社で1社)であるが、鎌倉時代に高野山と関係の深い天野社(丹生都比売神社)が一宮を主張し、以後は両社が一宮とされた。また、中世以降は伊太祁曽神社も一宮を主張しており、同社社伝によれば元々は伊太祁曽神社が一宮であったのが、日前・国懸神宮に奪われたとしている。
■紀伊国 – Wikipediaより引用

今回回った3社で一宮争い。

歴史深いといろいろあるんですねぇ。

さあ、帰路につくぞ!!

奈良経由で名阪国道。

奈良ではイオンに寄ってちょっと収納家具を買い出したりして
旅行らしくないこともしてましたが(汗

こうしてたまに出た時じゃないと買い物できないので。

名阪国道を名古屋方面へ向かっている最中、一之宮という地名看板が目に入り…
急いで妻がナビで調べてみたら、伊賀国一之宮がインター降りて直ぐにあるぞ。

よし、ちょっくら寄ってみようか!!w

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伊賀国一宮敢國神社です。

伊賀を開拓された大彦命をお祭りしています。

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この鳥居は…厳島神社のそれと同じ形をしていますね。

息子は、マイひしゃくで手水を取っていました(笑)

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さあ!!
今回の旅の、最後の階段へ(笑)

御朱印を頂く時、全国一宮の本があったので、その話を聞かれたのか…
全国一宮マップや伊賀の観光マップなど、一揃いくださいました(笑)

ここからはもう、ひたすら運転!!

豊根の自宅に到着したのは、18時でした。
朝早かったのもあり、もうフラフラっすよ。

でも、楽しかったから良し!!

旅行中、長文ブログが続きましたが、最後まで読んで下さった皆様、
ありがとうございました!!

また、まとめ記事でも書きたいと思っております。

「四国九州旅行8日目和歌山帰着」への8件のフィードバック

  1. けんたさんお晩でやんス。
    泉大津港に接岸後、まだ、ご朱印巡りは終わってなかったんですね☆
    そして我が故郷和泉国の一宮、大鳥大社にご参詣とは…
    さらに、和歌山まで足を延ばすとは!!!
    なるほど、それで岸和田を通られたのですね。
    なあんだ、そんなら我が家に寄ってくれればいいですのに(笑)
    是非、今度は岸和田だんじり祭の時に、我が家岸和田へ遊びに来てください☆
    祭りの時はだんきち&妻も帰省してますから、ウェルカムですよー☆
    国懸宮、日前宮は、紀氏ゆかりの由緒正しき一宮の社。
    でも、紀伊国に一宮が乱立してたのは、初めて知った…
    最後まで、宮尽くし・グルメ・温泉…満載の旅でしたね。
    お楽しみ様でした☆
    私も含め、読者諸君も、バーチャル観光楽しめたと思います。
    ありがっさま!!!

  2. チェーンソーアートと言えば、元東栄町役場の人で全米チャンピオンにもなった城所さんが設楽町から和歌山辺りの(旧?)龍神村へ移住されたので、ひょっとしたらその方の作品かも知れません。東栄町の大会でも何度か優勝して神業的カットを身に付けられたと記憶しています。
    このまま熊野速玉大社方面へ回ったとかいうことは無いですよねえ。

  3. ども!こんにちは。
    いやぁ、長旅&長編大作を数本と、運転および執筆お疲れ様でした★
    読み応え、かなり有りましたぜ!
    この様に、濃密な旅は働いてるとそうそうは出来ないもんね。
    ⇒次の日、昼くらい迄溜まった疲れで寝そうだし(笑)
    楽しいけど、やはり慣れない土地での疲れは溜まるもの。
    しっかり休養して、残りの休みを過ごしてな!
    僕も、旅に出たくなってきましたよ。
    週末は久能山にイチゴ狩りに行って来ました。
    ⇒花梨たま、20個は食べたかな(笑)

  4. >だんきちさま
    こんばんわ!!
    そうなんです(笑)泉大津に到着するまでは、もー疲れたし、そのまま豊根へ向かおうかな…
    って考えていたんですが、大阪の地を踏んだ瞬間、せっかく大阪にいるんだし…
    これから先、なかなか来る機会は無いだろうから…と、大鳥神社始め、和歌山まで足を伸ばしちゃったところです。
    岸和田のお宅は、だんきちさん夫妻がご在宅の時に是非よらせて下さい☆
    それも、だんじり祭りの時にっ!!
    紀伊国は、どこも一宮と書いてあってびっくりしました。
    一宮という「格」は、やはり重要視されているんですねぇ。
    読者の皆様にも旅行気分を少しでもお裾分けできれば…恐悦至極に存じます。
    暗いニュースばかりが流れる中、少しでもその雰囲気を打破できればと。

  5. >kawagさま
    元東栄町役場の方で全米チャンピオンとは…なかなかスゴイ方がいらしたのですね。
    そして、和歌山へ移住…。
    旧龍神村は地理的にそんなに遠くないようなので、その方の作品かもしれません!!
    と思って写真をよーっく見てみたら、「城所啓二」さんのお名前がありました。
    チェーンソーカービングで作られた龍の像です。
    ビンゴ!!
    さすが、kawagさん。
    このまま熊野方面へ…行きたいのは山々でしたが、
    それだと恐らく、この日中に帰れない(笑)
    熊野三社は昨年訪問したので、また何年後かに行こうと思っています☆

  6. >ウェスさま
    どもっす!!
    ねぎらいのお言葉、有り難う御座います☆
    そして、堪能下さり重ね重ね御礼申し上げます。
    いやぁ~おっしゃるとおり、濃密すぎて帰ってきた翌日はもう、抜け殻状態でしたね(汗
    そんでも、実家の倉庫の片付けなど重量物の運搬が残っていましたが(笑)
    残りの休みは、次の職場へ向けての勉強に集中しようかと思っています☆
    そろそろ、仕事したくなってきました(汗
    イチゴ狩り、良いですねぇ~~♪
    久能山というと…日本平ですか!!割と遠出されましたね☆
    20個のイチゴとは、花梨さま…やるなぁ。
    息子も連れて行きたいなぁ。

  7. 貴ブログを拝見させていただきました。
    一の宮の制度は平安時代頃に誕生しますが、一般民衆が「一の宮詣り」というのを行うようになるのは江戸時代になってからだそうです。
    都合1000年近い時代の流れがあります。この間に一の宮というのはいろいろと推移をしてゆきます。
    >伊太祁曽神社も一宮を主張しており、
    >同社社伝によれば元々は伊太祁曽神社が一宮であったのが、
    >日前・国懸神宮に奪われたとしている。
    とありますが、当神社にそのような社伝はありません。
    拝見された出典が分かればありがたく思うのですが・・・。
    蛭子神社前の龍神同様に、拝殿に並んだ干支も全て城所啓二さんの作品です。毎年4月の木祭りで、大勢の参拝者の目の前で実演奉納をされます。今年は昨日4月3日に行われ、明年の「辰」をカービングされました。また、機会がありましたら是非お参りください。

  8. >伊太祁曽神社さま
    直々にコメントくださり、有り難う御座います!!
    そして、一の宮に関する御解説、大変勉強になります。
    一の宮参りは、江戸時代に流行が始まったのですね。
    それまでの日本はまさに国と国が別の自治を行っており、
    日本を総じて民衆が行き交うことは江戸時代ほどでは無かったのでしょうか。
    そして、引用の件、引用先を記載し忘れておりました(汗
    ■紀伊国 – Wikipedia
    こちら、Wikipediaから引用致しました。
    なにぶん、Wikipediaですので、情報が誤っている可能性もありますね(汗
    ご迷惑をおかけし申し訳ありません。
    私が住む豊根村という村は土地のほとんどは森林であり、
    「木」とのつながりは切っても切り離せないほどに身近です。
    その中で、貴神社を訪問できたこと、大変嬉しく感じております。
    また、隣の自治体は東栄町と言って、チェーンソーカービングの
    イベントなどで有名であり、益々貴神社への親近感が増したところです。
    妻とも、また行きたい!!
    と言ってますし、友人も大変興味を持っているようなので、
    いつかまた、お参りさせて頂きたいと思います☆

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