統一地方選挙によって、1日伸びましたが、
本日、東栄町古戸の母方祖母、葬儀です。
支度を調えて、古戸の青山工務店へ。
さすが、祖母は6人の子どもを育て上げただけあって、孫の人数たっくさん!
そして、曾孫まで。
親族だけでも、かなりの人数。
東海道沿いに、散らばっています。
一同会する機会なんて、滅多にありません。
みんな様々な職業についていて、忙しい最中ですが、
遠方から参集!
棟梁社長、保険会社、新聞社、出版社
自衛隊、東栄町、豊根村、
大手自動車部品メーカー、大手飲料メーカー、大手電機メーカー
私たち、祖母の孫が就いている職業。
誇らしい従兄弟たちの職業です。
なんか、書きだしてみたら、ひとつの社会が出来そうなくらい、多様多種。
みんな、「出来る男」ばかり。
我が家は末っ子なので、出来るお兄さんたちを見ながら、私は育ちました。
久しぶりに出会い、近況報告にも花が咲きます。
なんたって、98歳の大往生となった祖母。
あやかりたい…そんな気持ちで、葬儀の日ですが、笑顔が散見されます。
しかし、出棺の時を迎え…
やはり、さみしいものはさみしい。
孫一同が自ずから、自分の配置を認識し、
私たち孫の手で、棺を霊柩車に運び込みました。
合掌。
どこまでも青い空に響きわたる、長いクラクションの音。
東栄町の斎場に向け、車列は進みます。
今回、葬儀は斎場に併設されている葬儀場にて。
曾孫たちが走り回って、賑やか!!!
東栄町役場に勤務する従兄弟の息子さん、
うちの子と年が近いので、男の子ふたりで楽しそう☆
イス取りゲーム??
遊んでいました。
時が来るまでの間、近況報告の延長戦です。
着実に近づく、その「時」。
落ち着かないっす。誰しもが。
葬儀の司会をして下さる女性の方、豊根の葬儀でも見かける方でした。
目が合い、話しかけられたかと思えば…
「お住まいは豊根村で…確か、御自宅で葬儀されてましたよね。」
私のことを憶えていらっしゃいました。
やはり。
やたら葬儀に出てくる若者だから、目立つ(汗
司会者の方、東栄町でも活躍されているんですねぇ~!
葬儀の司会、大変気を使う、大変なお仕事。
でも、今回は、葬儀屋さんが豊根と違うような…。
疑問に思って聞いてみると、フリーで活躍されているんですね。
やっぱり、誰にでも出来る仕事ではないです。
午後1時。
葬儀が始まりました。
手に渡された経典を、ずーっと見つめ続けている息子。
漢字は読めませんが…いや、経典の漢字は私たち大人でも読むのは困難ですが。
ふりがながふってあるので…
ふりがなを読み始めました(笑)
おっとっと!待て!待て!
しーんと静まりかえり、和尚さんの読経が響きわたっている葬儀場内。
和尚さんに続いて、息子の読経が響きわたり始め…
慌てて止めました(汗
読経するのは、まだ、早い!!
みんなで読経するタイミングまで、しばし、待て!!
「まだぁ~?まだなのー?」
息子がイライラし始めました。
長いお経に飽き飽きし始めた息子は、
周囲のおじいさんたちにちょっかいを出し始め…(汗
ヤバイ!やばいいいいい。
と、思っていたら、ようやく!斉唱タイムがやってきた。
水を得た魚のように、読み始める息子。
すげぇなあ。
親バカですが、感心しました。
だんだん、唱える速度が追いつかなくなってリタイアを
何度も繰り返してはいましたが、それでも、感心。
いつも、東栄病院に行って祖母を見舞ってはお小遣いをもらっていた息子。
もう、曾ばあちゃんに出会えなくなってしまいました。
しっかりお経を唱えて、曾ばあちゃんを見送った息子。
滞りなく葬儀は終了し、最期に喪主である従兄弟のご挨拶。
大変落ちついた様子で、祖母の経歴や仕事、趣味などを読み連ね。
素晴らしい挨拶でした。
危うく、拍手しかけました。
葬列順序が読み上げられ、私は「紙旗」の担当。
旗を手に持ち、様々な配役を承った親族の列に。
屋外に出された棺の周囲を巡り、最期はこのように、小銭が振りまかれます。
シャリン、シャリーン!
その音を聞きつけるが早いか…
もの凄いスタートダッシュをしたちびっ子!
その顔を確認したら…
息子だった(笑)
従兄弟たちもビックリの速度。
なぜ…あんなに反応が早いのだ…。
すると、従兄弟曰く、
「ありゃ、(花祭りの)茂吉鬼で鍛えただらww」
って(笑)
確かに!そうかもしれないww
棺が火葬のドア前まで運び込まれ、
最期のお別れ。
棺が一旦開けられ、綺麗な花々を棺の中へ込めます。
棺が閉められ、凛とした空気の中、一本、一本、丁寧に線香が上げられます。
そして…
棺の小扉が閉じられるまで、最期の…最期の対面。
この瞬間が、最も、つらい。
ドアが開き、棺が中へ…。
深く深呼吸。
立ち上る煙を見上げながら、しばらく隣接の休憩施設にて。
従兄弟たちと共に、酒を飲み交わしました。
こんな機会でも無いと、なかなか揃うことができない従兄弟同士。
皆、遠方に散らばって活躍中。
年の近い世代と、少し離れた上の世代。
少し離れ上の世代とは、盆正月に会う機会もほとんど無く。
年の離れたお兄さんたちという印象で、
こうして年の壁を越えて話をするようになったのも、年を取ったってことなのかな。
そして、家族を持ったということ。
古戸の川で夏に遊んだ思い出話。
東京在住の従兄弟たちと、古戸在住だった従兄弟たちの、
まさに「少年時代」を画に描いたような情景が浮かぶ、そんな会話でした。
時間が到来したことが告げられ、
火葬場に参集。
ひとりひとりに長い箸が配られ、2人ひと組でひとつの骨を拾い上げる。
骨上げです。
まだまだ熱い状態なので、子どもは近づかないように…
ということでしたが、生まれてこの方、曾孫の中でも会いに行く回数が多かった息子だけに、
せっかくなので…
私と2人で箸を持ち、骨を拾い上げました。
「死んじゃうと、みんな、こうするの?ボクもこうなるの?」
そうだよ。みーんな、こうなる。
けど、お父さんより先に、こうなっちゃ、絶対ダメ。
バスに乗り込み、火葬場から古戸のお寺へ向かいます。
遊び疲れた??息子は、バスの車内で爆睡。
ですが、お寺に到着すると直ぐに目を覚まし、三日七日の法要です。
ここでも、経典を手に、読経を始める息子。
なかなか速度に追いつけないながらも、目で追っている様子。
そして、焼香。
このお寺では、まず祖母の祭壇で1度焼香し、
奥にある歴々の位牌に焼香、最後にお寺の祭壇に焼香。
3箇所を焼香して巡ります。
お盆には念仏踊りがあり、今年は初盆なので、
私たちも参加しようかと。
午後6時に、全ての法要が終わり、古戸の実家に戻って組念仏。
その間、宝探しに勤しむ息子(笑)
自衛隊のお兄さんが遊んでくれました。
従兄弟の子どもたちは年が近く、遊び相手にピッタリ☆
喧嘩もしましたが(汗
そして、夕食としての直会。
古戸の組の方々と親族で、飲み交わします。
その際、伯父さんからご先祖様のお話を伺いました。
我が祖父の祖父にあたる、「政吉お祖父さん」の話。
時は幕末の動乱期。
政吉お祖父さんは、突如として
「金比羅さんへ行ってくるわ!」
と、言い残して旅立ったそうな。
齢にして、20歳くらい?
まだ、若かりし頃。
何が起きても不思議では無い時代、地安も良いとは言えず、
当時、四国まで行くなんて、命がけだったそうです。
京都の御所に寄って、天皇陛下を観てみたい。
ふと、そう思った政吉お祖父さんは、
御所に出入りしていた瓦屋さんに頼み込んで、3~4年くらい丁稚奉公。
仕事をしながら、天皇陛下を自分の目で見る機会を伺いながらも、
さすがにセキュリティが強かったため、断念。
それでも、奥方様たちの姿を目にすることはあったそうな。
幕末から明治維新へと時が動いていくその最中。
江戸城に向けた上洛列が結成されたと聞くと…
土産に京都の地図、鎧兜を購入。
古戸まで持って行くのも大変ということで…
江戸城の上洛列に加わった!!!
京都から江戸に向けて、隊列を組んで進みます。
重たい鎧兜は、隊列の中の車に乗せて(笑)
天竜川にさしかかったあたりで、
「自分の家が近いから、帰るわ~~」
と、隊列に告げ。
車に乗せていた鎧兜を背負って、古戸まで帰ってきたそうな。
しばらくの間、京都の情勢を「講師」として、
振草の皆さんにお伝えしていたとか!
すっげぇ。
ご先祖様。
その地図がこちら。
オクデに飾ってあります。
伯父さんによると、鎧兜もあるとか!
そーいえば、祖父の葬儀の時か、法要の時に出てきたのを見たような。
面白いご先祖様は、まだいらっしゃいます。
政吉お祖父さんの孫にあたる、我が祖父新吾さん。
少年時代から、2004年に93歳で亡くなるまでの80年近く。
欠かさず日記を綴られていました。
伯父さんたちが生まれたこと、私たち孫が生まれたこと。
探してみたら、私が生まれた日のことも書いてありました。
私が毎日ブログを書くようになった…遺伝子は、ココがベース。
同じく、オクデに本棚に入って日記帳が並んでいます。
夫婦で90歳を超える長寿。
あやかりたいです。
賑やかなときは、あっという間。
これでまた、日常に戻るわけですが…
またいつか、従兄弟会とかできたら、良いな。
兄弟が多いってのは、ホント、いいですね!!