昨日の夕方、辺り一面が真っ白になりそうな勢いで降っていた雪。
ちょうど3年前の今頃、豊根村が大雪災害に見舞われ、
電柱がなぎ倒されて停電が5日間も続き、当時の写真を改めて確認。
大雪大災害対応1日目 | kenta’s page ~未知は近きにあり~
それを知らない後輩もいるので、一緒に写真を見て説明しながら。
天気予報と睨めっこして過ごす宿直室。
夜は星空が出るほど晴れ渡って安堵して床に就き。
朝を迎えました。
土曜日早朝から村PR活動のため出勤した職場の方々。
そして交代の日直さんへ引き継ぎし、帰宅。
息子は少年野球の練習、ばあばに託し、
おいらは支度を調えて名古屋へ向かいます。
偶然にも同じ建物の中で行われる2つの会合。
両方出られて効率的!と思いきや、時間もバッティング。
名古屋に到着し、駐車して地下鉄で会場へ移動するも、
1本目の会合が始まりそう(汗
お昼ご飯は、地下鉄駅から会場までの徒歩数分をおにぎり片手に食べながら。
そして、中部大学名古屋キャンパス到着!
いずれの会合も、中部大学に深く関係する故、同じ中部大学の建物。
まずは大ホールへ向かい、中部ESD拠点協議会が主催する、
地域ESD活動発表交流会へ参加します。
中部ESD拠点 地域ESD活動発表交流会を開催します! | 中部ESD拠点
事務局長さんが古くからの友人で、参加オファーが直接。
参加せねば。
開会のご挨拶は中部ESD拠点協議会代表の中部大学総長。
中部ESD拠点協議会は活動開始から今年で10年。
「中部サステナ政策塾」と「伊勢・三河湾流域圏ESD伝統知プロジェクト」の
2本のプロジェクトを擁しています。
前者は昨年作られて、若い塾生に政治いや政策への関心を持ってもらうことを目的に、
後者は伝統的知見から持続的発展に寄与する現代生活を考える。
昔の生活に戻るのではなく、新しい時代を真剣に考えて、
日本が自立するための国づくりにむけたささやかな一歩として。
代表からのコメントでした。
つづいて中部サステナ政策塾の発表会。
中部大学、椙山女学園大学、三重大学、岐阜大学、名古屋大学の学生さんたちが、
自らが首長になったと仮定し、考えてきた政策を発表する。
事務局長から「彼らは若いから、長い目で見てあげてね。」と先手を打たれ(汗
発表する真剣な眼差しを見つめながら、おいらも脳内シミュレーション。
周囲にとらわれぬ、新鮮な視点だからこそ、分かることもあります。
感じたことを、ここにメモ。
発表者にはそれぞれバックグラウンドがあり、大きく分けると
1.財政力豊かな都市部市町と、2.過疎地を擁する市町。
学生さんたちが発表したマニュフェストはそれぞれ、生活との距離感が異なる。
1.の方は地球全体、グローバルな環境的視点が多く(マクロ的)、
2.の方は身近な生活に直結した危機感を擁している(ミクロ的)。
都市部の若者は選択肢が豊かな故に、身近な共生をしなくてもやっていける。
よって、視点が日本人と外国人の、国籍の違いによる多文化共生に行く。
一方、2.の若者は選択肢が少なく、
身近なレベル(考え方の文化の違いという意味での多文化)で共生を求められる。
本当に「多文化共生のESD」とするならば、
2.に視点を向けた多文化共生を考えるべきと感じます。
(※ESD=持続可能な開発のための教育は、多文化共生思考とセットになることが多い。)
どちらが良い悪いはありませんが。
1.は視点が大きいだけに、現場から離れて非論理的な方向へ、しばしば向かいます。
その後の討論でコーディネーターを務める石田芳弘先生からは
・政策の根底には「民主主義とは何か?」という思考が必ず存在する。
・現実に政策を考えるとき、選挙というプロセスを外すことは出来ない。
・しかしながら、当選すると行政は統治システムだから、統治の論理となる。
・そのギャップを埋めるためのマニュフェストは必要。
とありました。
首長は、民主主義の追求と統治システムの運用を求められる。
…と、ここで時間切れ。
会を中座して、6階から8階に移動。
同じ建物、移動時間ゼロが嬉しいっ!
8階では2ヶ月に1回恒例の、武田先生情報の会ですっ!
開始時刻に間に合いました。
今回の参加者は12名。
うち3名がプレゼンターです。
会の冒頭は元キックボクシング世界チャンピオンの佐藤さん。
「辞書の旅」がレギュラー化!!
佐藤さんといえば、辞書を読み込むキックボクサー。
毎回冒頭に、辞書から引っ張り出した言葉を解説してくださいます。
日頃、何気なく使っている言葉にも定義された意味があって、
何気ないからこそ、新しい発見がそこにある。
「ア行」の1ページ目から始まって現在、1322ページ。
「ハ行」に突入しています。
「反骨」
安易な世論に常に批判精神を失わぬ生活態度。
まさに、武田先生。
そして、我々が目指すべき場所。
「反抗」
親や立場が上の人の言うことを聞かずに、
何でも逆らってみたり、自分の主張を通そうとすること。
「批判」
良いことも悪いことも含めて判定すること。
批判って、対象が悪いと判定することと思っていたら、
実は良い判断に対しても批判という言葉を使うのだ!!しらなんだ。
似通った言葉にも、正反対の意味を含んでいて、大変面白いピックアップでした。
佐藤さんも情報の会について書かれておりますので、是非ご覧あれ!
知らないことを知ることのできる幸せ|佐藤嘉洋オフィシャルブログ「明るく生こまい」Powered by Ameba
続いては、
エンジン、船、バイク、などなど。
発動機を中心に展開する大手企業の方。
いや、エンジンのみならず、ベースは音楽機器。
M&Aせずに事業を拡大していった珍しい会社。
図面は真実を語るとは限らない。
企業において、マニュアル化や図面の焼き直しが当たり前になってしまう。
これは「常識」と言う。
原理原則が必要。
常識は原理原則ではない。
エンジニアリングにおける原理原則は、ニュートン力学。
ニュートン力学が頭に入って仕事をしている人は、ミスが少ない。
ここでひとつ、我々の概念が覆される実験動画。
よくよく考えてみれば、確かに…と納得するんですが…。
ヘリウムの入った風船を自動車の中で床に糸を付けて浮かせておき、
自動車がブレーキを掛けたときに風船はどんな車内挙動を示すのか?
我々は自分が自動車に乗っていてブレーキを掛けたときの挙動を想像します。
ブレーキ掛けたら慣性の法則によって身体は前のめりになりますよね。
だから、風船も同じように車両前方へ前のめりに…と思いきや!!
風船は車両後部に向けて傾くのです。
これも実は、慣性の法則。
ヘリウムより重い空気が慣性の法則によって車両後方へ置き去りになり、
ヘリウムガスは空気よりも軽いため、その空気によって車両後方へ押し出される。
自然界が物理の法則に支配されていて、
我々の感覚はその法則と違っていることも多々あるという例えです。
常に感覚が正しいとは限らない。
右と左で反応系の物理量は保存される。
すなわち、化学反応は慣性の法則であると!
化学と物理の融合的視点。面白い(笑)
エンジニアリングの話題もあって、
開発プロセスや生産プロセスなど、懐かしく伺いました。
続いて、音楽レーベル「アリアCD」の松本さん!
会員制クラッシックCD通販ショップを経営されています。
情報の会じゃないと、一生のうちに会えるかどうか分からない分野の方。
今回のプレゼンテーマは、フルトベングラーについて。
フルトベングラーというのは、
カラヤンの前にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を務め、20世紀前半を代表する指揮者のひとりとされている。ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー等のドイツ音楽の本流を得意とした。一般には後期ドイツ・ロマン派のスタイルを継承した演奏とされ[1]、作曲家としても後期ドイツ・ロマン派のスタイルを継承したことから、ライバルのトスカニーニと対極に位置づけられることもあるが、「堅固な構築性をそなえた演奏を『ロマン主義的演奏』というだけで片付けてしまうのは軽率」とする見解もあり[2]、またフルトヴェングラー自身は「後期ロマン主義者」と看做されることを極度に嫌い、「私はロマン主義者でも古典主義者でもない」と語ったともいわれる[3]。主な称号はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員[4]。
まず、クラッシック音楽について。
クラシックはポップミュージックと違い、選択の幅に演奏家という第3層がある。
ベートーヴェンの運命のCDだけで何種類もあるのは、 それぞれ演奏家が異なるから。
フルトベングラーは演奏家の世界で歴史の中でもナンバーワンを誇る。
ナンバーワンだからこそ、フルトベングラーの場合は第4層として
「いつの、どこでの演奏か?」という選択肢が存在する。
フルトベングラーというジャンルを確立している。
1886生まれ。
幼少の頃は彼の知能が高すぎて周囲の子どもたちや親と上手く行かず。
家庭教師を付けて勉強した。
彼の生涯年譜が資料として配付され、年譜に沿ってプレゼンは進みます。
年譜に応じて、彼が指揮し、そのときに録音された音源を流してくださる!!
まずは、世界恐慌の真っ只中、ベルリン・フィルを指揮し、大成功を収めた時に収録された
1928年のG線上のアリア(ベルリン・フィル)。
G線上のアリアは誰しもが聴いたことがある名曲。
だからこそ、指揮者の特徴がよく分かります。
深くて沈み込むような遅いテンポが特徴的。
その違いは、素人のおいらでも分かります。
そして、時代は第2次世界大戦へと…。
優れたその才能から、ユダヤ人ながらも迫害を逃れ、ナチスすらも逆らえない。
一方で、ユダヤ人の保護を進める。
よって、ナチスは役職を付けて動けないようにした。
ナチスとウィーンフィルの間に立って。
ナチスはカラヤンを登用してフルトベングラーにぶつけた。
演奏は同じベルリン・フィル。
ついにゲシュタポにより逮捕命令が出され、その目をかいくぐり、スイスへ亡命。
亡命直前にベルリン・フィルでコンサート。
その音源があると!!!
流れる旋律を耳にしながら、時代が空気を伝って伝わってくる。
こんな感覚は初めて。
録音の質、聴衆の咳払い、作品によっては爆撃の音も含まれる。
それらはすべて、ライブ。映画でもドラマでもなく、現実に収録された音。
その音を含んで演奏されるオーケストラの音色。
戦時中という時代背景の中で演奏された「そのときのライブ」を聴くのは初めての体験。
さらに、時代背景の解説を聞きながらという、超絶レアな体験!!
そしてもちろん、指揮者であるフルトベングラーの感情が演奏に現れる。
第2次世界大戦が終結しつつも、荒れ果てたドイツの街、
そして親ナチスのレッテルすら貼られて演奏が全く出来ない時期を過ごす。
その期間3年。
復帰後は恐ろしい程の密度で演奏会を開いていく。
戦後拡張期、絶頂期、晩年に至るまでライブ演奏を拝聴。
ひとりの指揮者にスポットを当てて。
最も印象的だったのは、復帰後最初に開かれたコンサートの音源。
抑圧から一気に解き放たれた音圧に圧倒されました。
続く、武田先生からのコメントも時代背景の解説から。
ドイツにはナチス以外の政党が立つ可能性がなかった。
作用反作用と一緒で、近代ヨーロッパ国家が出来たときに矛盾を持っていた。
国家成立の矛盾を小さな戦争で解決してきたが、
第1次世界大戦によって鬱積し、それを全て精算するよう力が働いたのがナチスか。
つまり、近代国家になった分のエネルギーギャップを止めるための第二次世界大戦。
歴史のひずみを解決させる出来事だった。
また、芥川龍之介的に考えると、「大衆的なものは筋道が立ったもの」
ポップスやロックは筋道を立てており、1曲でストーリーになっている。
一方で、クラッシックや純文学は、一部を切り取ったもの。
後者については、聞き手の準備、すなわち哲学や思考の深さ、
レベルなどとの相互作用で決まっていくのではないか。
同じ芸術である絵画についても、絵を描く人は時代の流れがないと描けない。
描ける時代と描けない時代。
どれだけ優れた人であろうと、環境や時代背景がなければ芸術創作できない。
伝説的な芸術家は、時代に生まれる「運」を持ち合わせている。
今回もまた、新しい世界を見せてくださった情報の会に感謝!
さて、ここからが本番?
プレゼン後は恒例の夕食会です。
会場はとある海産物が名物の、いきつけ居酒屋さん。
社長の娘さんは、楽天社長の秘書を務められているとか!!
たまたま娘さんがご挨拶に現れ、超美人でした。
「情報の会in豊根村を恒例行事にしよう!」
という御提案も頂きまして☆
また、準備させていただきます!
皆さん、ブログで写真を公開されているので、公の人たち。ならば、おいらも掲載!
元NHK夜7時の全国ニュースの気象予報士さんが
キックボクシング世界チャンピオンにアッパーを決める図。
そして、おいらは仲良しこよし東海テレビ気象予報士さんと☆
宴たけなわ、22時頃終宴となり、おいらは豊根へ戻ります。
ノンアルコールで日帰り。
帰り道は毎度お決まり。
東海テレビ気象予報士ジョージさんと一緒に。
会の方々から、「今度は、うちに泊まっていけよ!」と声をかけていただき、
いずれ、御言葉に甘えさせていただきます☆
本日の様子は…
先回プレゼンされ、今回も参加された半井さんも、ブログにアップされております。
武田ファミリー|気象予報士 半井 小絵〔なからい さえ〕オフィシャルブログ「SAE’S BLOG」Powered by Ameba
帰り道は、ブラックアイスバーンでキラキラに凍結した路面を2時間。
会を振り返りながら、午前1時頃、無事に自宅帰着です。
「ESD発表会と武田先生情報の会2本立て」への1件の返信