祖母旅立ちました

道路工事予定地の現場へ。
設計事業者さんと、教育委員会の方と共に。

道路のみで完結する場所では無く、
ここもまた、様々な関係者との協議が必要です。

できるだけ、関係者のニーズを調査した状態で、設計を組みたい!!
それには、一緒に現場へ行ってディスカッションすることが大切。

とっても天気が良く、気持ちよく、白線の位置などを打合せ。

すると背後から…

「おとーさーーん!おしごと、おつかれさまぁーーー!」

カワイイ声援が聞こえて来ました!!
お散歩中の息子です。

黄色い帽子をかぶったチーム年長さんの団体が、
先生に連れられてこっちの方へ歩いてきました。

一緒に打ち合わせしていた大人たちも、顔が緩みます(笑)

限られた予算ではありますが、できる限り子どもたちが安全に通行できるように…と。
ディスカッションしている最中、ケータイが鳴ります。

なんとなく、嫌な予感がしつつ…電話に出てみると…

「古戸のおばあちゃんが、意識無くなった!病院まで行ける??」

とのこと!!!!
ま…マジでかーーーーー!!

母方の祖母、危篤。

このタイミング、非常に難しい。
打合せを最後まで済ませて、職場に戻ると同時に、課長に相談。

毎度毎度、突然の事件ばかりで恐縮です。

すぐに、課長さんからOKを頂き、自宅に帰着。
先に病院へ向かっている母を追い掛けるように、妻を乗せて東栄病院へ向かいました。

母は、選挙カーに乗ってウグイス嬢やっている最中だったようで…。
末っ子娘として、祖母の面倒を見ていた母。

午前11時過ぎ、東栄病院に到着。
急いで病室へ。

既に古戸母実家の伯母さんと従兄弟夫婦、母が到着し、
目をつむって肩で大きく息をしている祖母を見守っています。

祖母の姿を確認し…
この、肩で息をする姿は…

祖父の最期の時と一緒だ…。

私たちが到着したことを母が祖母に告げて、
「おばーちゃん!目を開けてごらん!けんたろーたちが来たよ!」
手を握っていると、祖母の目に力がこもり、うっすらと瞳が見えたかと思ったら…

直ぐに閉じてしまいました。

医師の先生がいらっしゃり、この状況だと恐らく、
今日か、明日ではないか…と。

祖母は齢98歳。
昨年、数えで99歳の白寿祝いをしたところ。

年齢も、年齢です。

最期は自然に、亡き祖父に導かれて…
酸素吸入や点滴などの処置はせず、そのまま見守ります。

古戸の伯母さんが、亡き祖父の写真を持って来てくださっていました。
それを祖母から見える様な位置に掲げて。

今夜、母が宿泊できるように、広い病室に移動されていました。

この状況がしばらく続きそうなので、
みんなのお昼ご飯を買い出ししに、売店へ。

その手前の薬局には、我が家の隣のおじさまと、
設楽町地域おこし協力隊くんの奥様が薬剤師として勤務されているので、
ちょちょいと雑談をしつつ…お昼ご飯を購入。

すると、慌てた姿の従兄弟が目の前に…。

「容態が急変した!!」

え…えええええええええ!?

急いで病室へ向かうと、先ほどまで大きく息をしていた祖母の姿ではなく、
時が止まったかのように、静かな祖母の姿が。

続いて医師の先生がいらっしゃり、
脈拍計測、聴診器を胸に当て、目を開いて光を当て瞳孔反射確認。

おもむろに時計の針を確認し、時刻が伝えられました。

98年間の天寿を全う。
おばあちゃん、本当に、お疲れ様でした。

私が幼かった頃、我が家は祖母祖父含めて全員働いていたので、
母の実家である古戸に預けられることが多々ありました。

そんなとき、いつも私の面倒を見てくれた母方祖母。

6人の優秀な子どもたちを育て上げた、パワフルかーちゃん。
いつも畑に出て農作業していた姿が印象的。

にもかかわらず、シミもほとんどない、美しい顔。

最期の処置をして頂いている間、病室の外で待機していましたが、
大変お世話になった介護士さんたちが口々に、

「言うこともすべて分かるし、声が出ないときは指で指示を出されて(笑)
本当に、頭がしっかりしていたよ!」

声をかけていって下さいました。
いやほんと、最後の最後まで、頭と耳は明晰でした。
他の運動器官が先に衰えていったという感じで…。

おとといは車椅子に乗って外へ散歩。
介護士さんに写真を撮影してもらっていました。

あっという間の出来事。

でも、苦しんだ期間も少なく、
これでもか!ってくらい、理想的な最期のように思います。

従兄弟が先に帰宅して、祖母の帰宅準備を整えている間、
私の車の後部座席をフルフラットにし、長い眠りに就いた祖母に乗ってもらいます。

病院スタッフの方も車内に乗り込んで、
準備を手伝ってくださり…

顔を上げて、その姿を確認すると…それは、医師の先生。

医師の先生も、車内に乗り込んで手伝って下さいました。
とっても親身な東栄病院の先生。

医院長先生はじめ、大変お世話になったスタッフの皆様に見送られ、
東栄病院を後にしました。

ゆっくりと最期のドライブを楽しむかのように、
選挙まっただ中で慌ただしい東栄町内を古戸地区に向けて。

選挙カーにも、すれ違います。

そして、祖母、帰宅。
母の実家、古戸の青山工務店到着。

従兄弟たちと共に祖母を家の中へ。
布団に寝かせて、ようやく一息。

つくか、つかないか、のところで…

時計の針は午後2時半!!!!

や…ヤバイ!!!
急いで豊根に向けて車を走らせ、妻を自宅で下車させて、
職場へ戻ります。

午後3時から、日曜日に迫った選挙の事務担当者説明会。

ギリギリ、滑り込みセーフ!!!
間に合った。

頭が付いていきませんけど(汗

様々な資材の確認も実施しますが、
なんか、まだ、頭の中がテンパってます。

深呼吸。深呼吸。

落ち着け、自分。

間違いがあっては、いけません。

そして、選挙の会場準備へ。
夕方5時、準備を終えて、職場へ帰着しました。

金曜夕方の定時後は、掃除の時間。

メールボックスを確認し、運良く、緊急案件の仕事が舞い込むことも無く。
若干崩れた予定の立て直しを図りつつ…

課長さんから

「月曜日、休みを取れよ!」

と、お気遣い頂き、帰途に着きました。
帰宅すると母が古戸の実家から戻ってきていて、
葬儀日程などが決定し、月曜日葬儀となりました。

というのも…

東栄町も、選挙のまっただ中。

日曜日に葬儀は、不可能!!!

母方祖父が亡くなったのは古戸花祭りの日の朝。
夫婦で皆の印象に残る日に。

夕食を取ってから、母とふたりで古戸に出かけました。

古戸の組の方々がいらっしゃっていて、
段取りの詳細を詰めつつ、祖母の実家の甥っ子さん…
とは言っても、母よりも年はかなり上ですが。

母が小学生の時の先生だそうです(笑)

祖母実家関係の親族を取りまとめてくださっていました。

名簿を見ると、豊根の方の名前もチラホラ。
豊根との結びつきも、深いのです。

しばらくして、名古屋、豊橋から伯母さんと伯父さん来訪。
数泊する覚悟で、泊まり荷物を抱えながら。

病院で立ち会うことは叶いませんでしたが、対面。
親戚関係へ、連絡をどの様に実施するか、議論が始まります。

日付が変わり、午前1時過ぎ、東京在住の伯父さんと伯母さんが到着。

その日のうち、仕事を終えてから車で飛んで駆けつけられ!
すごいバイタリティです。

祖母の素晴らしい笑顔の写真を携えて。

弔問にいらっしゃった方々が、祖母の生前の笑顔に触れられるように…と、
写真立てに入れて枕元に配置されました。

遺影は、親戚である、中設楽の山のえかきさんによる作品。

DSC_4438

山のえかきさんは、祖母にとっては、孫の義父さん。

そこから今度は、香典返しなどの打合せが始まり、
帰途に着いたのは午前2時半。

こうして、長い1日は、幕を下ろしました。。
この週末から週明けにかけて、忙しくなりそうです。

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