愛知県建設部の出先機関である新城設楽建設事務所。
その出先機関で、設楽町には設楽支所があります。
ここ数年、おいらが仕事で最もお世話になっている支所。
仕事上、ほぼ全ての職員さんとやりとりがある中で、
「坂本さん、良い本があるんですよ。」
と、職員さんから紹介して頂いたのが
この世で恐らく、この一冊だけであろう…国道151号線を特集した書籍です。
さすが、建設事務所の職員さん。
自らが管理する国道に対して、かなりマニアックな情報を集めておられます。
国道151号は起点を飯田市、終点の豊橋まで続く総延長131.8 km(長野県 46.7 km、愛知県 85.1 km)の補助国道。
長野県
飯田市 – 下伊那郡下條村 – 下伊那郡阿南町
愛知県
北設楽郡豊根村 – 北設楽郡東栄町 – 新城市 – 豊川市 – 豊橋市
上記の8市町村を通過します。
先日、この8市町村で集まる国道151号のとある会合に出席しました。
この組み合わせを結びつけるのは、国道151号しかありません。
さて、本題に戻りまして。
この書籍では国道151号を南下しながら、時には分岐する沿道深くまで入り込んで、その土地土地が持つ歴史、文化財や天然記念物にも踏み込む。
国道151号を木の幹とし、色鮮やかな枝葉である沿線情景を俯瞰的に眺め、一つの木が一つの書籍になったような作品です。
豊根村で言えば、主要地方道を冠する阿南東栄線や津具大嵐停車場線。
主張地方道阿南東栄線は国道151号に平行して走る主要地方道ですが、現在の国道151号が車道として整備される前、歩道時代に三河国と信州を結ぶ中心路線だったそうです。
それもそのはず。
峠のアップダウンもお構いなしに、地図上の最短距離を走っている主要地方道阿南東栄線。
歩き道時代ならば、距離が短い方で峠を抜けるルートが主になります。
主張地方道阿南東栄線は、国道151号を遥かに凌駕するクネクネ急勾配ばかりの山道です。
2004年発行なので、情報は14年前。
今とちょっと違った風景が繰り広げられていますが、それはそれで楽しめます。
豊根村内の情報も良いのですが、普段何気なく通っている阿南町地内や東栄町地内。
すなわち、隣町の情報がとてもおもしろい。
国道151号と三遠南信自動車道鳳来峡ICとの交点となる新城市の名号(みょうごう)交差点。
この「名号」という地名の由来が言及されていました。
弘法大師がこの地に逗留した際、まだこの地には名前が無く、村びとが名前を付けてくれるよう頼んだところ、「南無阿弥陀仏」と書かれた。その南無阿弥陀仏の六字を名号ということから、地名が名号になったと言われる。
まさか、名号という地名は南無阿弥陀仏にゆかりがあるとは。
昔からの幹線道路には、石仏群がつきもの。
本書では、道路脇にひっそりとたたずむ石仏に対しても言及があります。
読み進めている中で、
あ、そういえば、あそこに石仏群があった!
とか。
日常の中にとけ込んだ風景に対する発見がいくつもありました。
この本を片手に、近隣の市町へ出かけたくなります。
教育委員会へお願い申し上げたところ、貸出図書に加えて下さったので!
豊根村在住の皆様、ふれあい会館で貸し出し中です。
ちなみに、おいらが今まだ借りて読んでいるところですので…読み終わるまでしばしお待ち下さい。
国道151号151話・・読んでみたいです。まだ売ってるかなあ?
子どものころは「豊飯(ほうはん)国道」と呼んでいました。
もちろん砂利道で、沿道の家々は土埃で真っ白でした。
昭和30年ごろ、学校帰りの豊飯国道で、徒歩行軍の自衛隊の一団に出会いました。(この話、しましたっけ?)
面白そうなのでついて行ったら、大海で寒狭川を挟んで展開し、銃撃戦を始めました。太い茶筒のような機関銃(水冷式?)もド、ド、ドと音を立てていました。
おおらかな時代だったなあと思います。
話は変わりますが、二男クン、表情がすごく精悍ですね。賢そうで、将来が楽しみです。
最近、教育委員会に頼んで新品取り寄せしてもらったばかりですので、どこかのルートで購入できるはずです!
一度、書店等に聞いてみてはいかがでしょうか?以前、新城の精文館に置いてあったという情報があります。
これは間違いなく、山のしんぶんやさん好みの本に違いありません。
昔は未舗装道路が当たり前で、次に流行ったのが「防塵処理」といって、アスファルト乳剤を撒いて土埃を抑える技術でした。
今設計中の工事で、まさにその層が現れて時代を感じています。
豊飯国道と呼ばれていたんですか。
本書にその表現はあったかなぁ?
しかし、訓練で銃撃戦が始まり、それを一般住民が目の当たりにできるとは。
本当に、おおらかな時代ですね。それくらいがちょうど良いような気がしますが…今、そんなことしたらマスコミの皆様が黙っておられませんね(笑)
初めて聞きました。
次男君、私も親バカながら、そう思います。
慎重派で、よく観察しています。
昨日、前転しながら一回転してリビングの床から土間に落下しましたが、ケロッとしていたメンタルの強さにビビりました。
アマゾンで古本見つけました。
1200円なり。
早速注文しました。
面白い本だといいのですが・・・。
なんと!
Amazonの古本にいましたか!
半額以下ですね。
もしかしたら、内容は…すでにしんぶんやさんはご存知のことばかりかもしれませんが。
また、ご感想をお聞かせ下さい。
読了しました。
駆け出しが飯田支局だったため馴染みの地域が次々に登場し、興味深く読みました。
実によく調べたものだと感心します。
亡き親父も登場していました。
湯谷温泉に立つ「鳳液泉碑」の口語訳者(232㌻)です。
飯田支局在任当時のR151は名にしおう悪路で、すれ違いも困難でした。
ホンダライフを運転していた支局長が、対向車のスカイラインGTRと接触事故を起こしたことを思い出します。
彼は満州国の首都・新京で特務機関員をしていたという猛者でしたが、かなりの修理費を要求され、青くなっていました。
余談ですが、当時の上司には旧軍出身者が大半で、面倒を見てもらった通信局長はB29迎撃の海軍夜間戦闘機搭乗員でした。
私は海軍兵学校や経理学校、陸軍士官学校の校歌を譜面で覚え、宴会で披露しサービスにこれ努めました。
さらに余談ですが、私の宴会芸の十八番は「終戦の玉音放送の声帯模写」でした。昭和50年代までは喝采を浴びた(?)ものですが、今では全く受けません。
大変面白い本を紹介していただき、感謝いたします。
ありがとうござしました。
早くも読了されたのですね!
私なんぞ、ノンビリすぎて、ようやく一宮町に入ったところです。
しかしながら…いったい、どこから突っ込んで良いのか!と思えるほどのコメントをありがとうございます。
お役に立てて大変光栄であります。
まさか、亡きお父様のお名前が載っているとは、驚きを隠せません。
やはり文が残る血筋なのですね。
本書から記事に移りそうな良ネタはありましたでしょうか。
是非とも、さらなる深掘りをして頂きたいとも思います。
そして…
かつての時代だったからとは思いますが、旧軍出身者が上司の大半というのも大変驚きました。
どうしてそこから、今のような左側へ大いに傾いた紙面に移り変わるのか…。不思議でなりません。
いや、だからこその反動なのでしょうか。
軍関係の効果を覚えるというサービス精神にも驚嘆するところですが、玉音放送の声帯模写とは…是非一度、聞いてみたいところであります!!
今の貴社の方針からすると、社内で披露したら大変なことになりそうですが(汗